タイムマシンに乗って、頑張り屋の私に出会う(恥ずかしい💦なり)

小学校4年生の時に、千葉から三重県の鈴鹿市にある小さな田舎の城下町に引っ越した。

 

関東から来た子は初めてなのか「これ、美味しいね」とか「よろしくね」とか「ね」が語尾につくだけで、「ひゃーーーー、”ね” やってぇ〜〜〜(爆笑)」と普通の言葉にいちいち笑われた。

 

私は知らなかったけれど「千葉の女は乳搾り〜♪」という言葉が当時流行っていたらしく、休み時間になると、私の周りに男の子達がやってきてやんややんやと「千葉の女は乳搾り〜♪」を合唱してたよなあ。こっちは千葉にだって1年ほどしか住んでいなかったから、そう言われても、「私は千葉の女じゃないし」と思っていたんだけど。

 

旧姓が田中で、背が高くてひょろひょろしていたので「デンチュー、デンチュー」と、帰り道もいつも誰かにからかわれてた。

 

 

昭和のハナタレ小僧達。まっすぐ前を向いてなんて歩いてなかったよね。後ろ向いて、飛び跳ねたり。石投げたり。ああいう子供って、今はもういないんじゃない?懐かしい。

 

 

その後、中学2年でまた転校したので、鈴鹿にいたのは4年弱。最初の頃には語尾の「ね」で笑われていた話し言葉も、すぐに、”伊勢のな言葉”と言われる語尾に「な」をつける話し方で流暢に話せるようになった。

 

 

あんなにいじめられたのに、鈴鹿を去るときは、駅の構内に入れないほど(と言っても田舎の駅だから小さいんだけど)たくさんの人が見送りにきてくれて、別れを惜しんで泣いてくれた。永遠の別れのようだった。今だったら「じゃ、Facebookでね〜!」と軽く別れられるんだろうけど。

 

 

それがね、永遠の別れをしたと思っていたハナタレ小僧の一人から、小学校卒業以来初めて、同窓会のお知らせがきましてん。驚いたなー。もう、ほとんど記憶の外にあった人たち。。。でも、心のずっと奥で、あったかい甘酸っぱい思い出として眠っていた人たち。

 

 

そして、さらに驚かされたのは、同窓会に出られなかった私のところに届いたもの。

 

 

私たちが小学校を卒業した年が創立100年だったそうで、それを記念して、タイムカプセルに埋めた、作文と習字が私の手元に届いたんだよ。

 

 

もう、恥ずかしくて、片目でしか読めない感じ(笑)

 

 

でも、何日かして読み直すと、今ではありえないほど几帳面な字で書かれた作文の中に「頑張り屋の私」が精一杯生きている姿が見えて、泣けてきた。

 

恥ずかしながら、下手くそな作文だけど公開します。

 

最後の秋の運動会

これは一生忘れられないだろう。地区別リレーの南部のアンカー。私があそこでもっと力を入れて走ったら優勝できたかもしれない。
ゴールインした時、北部のアンカーの喜んだこと。。。私はくやしくてたまらなかった。私はもっといっしょうけんめいやるべきだった。もう二度とそんなことがないようにするつもりだ。
失敗ばかりしていた私も、あとわずかで卒業、中学1年生だ。
いつまでもこの思い出を胸にがんばっていきたいと思う。

 

なんて真面目な!!!

今なら、こう思うだろう。
「力を入れて走ったから、足がちゃんと動かなかったんだよ」って。

私はこの後、どんどん足が遅くなった。多分、頑張ろう!と思って、胸が前に出て、頭が首を押していたのだと思う。これは、体にブレーキをかけながら走っているのと同じだからね。

 

なぜ、そう思うかって?

私の慢性的な腰痛は、胸をはって顔を上げて、つまり頭が首を押し下げるという無意識の習慣から来ていたから。この無意識の習慣は、もしかしたら、この頃にできたのかも、と思ったり。

 

 

今でも、がんばろー!と、ちょっと思うだけで、胸を少し張って、腰をおす癖が顔をだします。

小学校6年生の私に、今はこう言ってあげたいな。

 

 

「あなたは十分にがんばっているよ」
「これ以上頑張ると、腰痛に悩まされるよ」

 

って(笑)。

 

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